毎年4月1日、ある新聞広告を楽しみにしてきました。伊集院静さんが語りかける、サントリーの新社会人向けメッセージ広告です。昨年11月に逝去されました伊集院静さんが、2000年4月より執筆されてきました。
4月1日の朝、日経新聞のページを繰りながら、サントリーのこの広告を探す自分がいました。そして見慣れた伊集院静さんの万年筆による筆跡を目にしました。ありました。
新聞広告の左に但し書きがあり読んでみると、その広告は2000年4月の第一回の原稿であり、これをもって伊集院静さんのメッセージ広告の最終回とする旨が記されていました。
2000年4月から2024年4月までの25回続いた伊集院静さんのメッセージ広告が、これをもって完結したことになります。
25年。すなわち四半世紀の彼方から新入社員(若者)に向けて放たれた矢は、時空を超えて飛び続け、この4月1日に入社する若者たちへと届いたでしょうか?
25年前に社会に船出した新社会人は25年を経て50歳を前にしているはず。再びこの記事に再会したら、どのような感慨を覚えるでしょう?
「空っぽのグラス」に例えられた新社会人。そんな彼(彼女)に向けて、仕事とは何か?を語りかけてくる伊集院静さんの言葉は、彼の遺言のようでもあります。
肝心なことは、「仕事の心棒に触れることだ」と静かに熱を帯びた言葉で語りかけてきます。夕暮れにはその「からっぽのグラス」に、語らいの酒を注げばいい。そう語りかけてきます。
年に一度4月1日に、新社会人に向けて「仕事とは何か?」を問いかけてくる伊集院静さんのメッセージを、私もまた読み続けてきました。そして自分のブログにそれを書きとめてきたので、それをふりかえってみたいと考えました。記された言葉が、2024年に生きる私たちにどのように響くのか?それを味わってみたいと思います。
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2009年4月1日(水)。その日の「新社会人おめでとう」は、次の問いかけで始まりました。
「その仕事は ともに生きるためにあるか」。
2008年、リーマン・ブラザーズが破綻。世界の金融システム全体が揺れ、世界金融危機へと波及していきました。
伊集院静氏はその金融危機に言及します。
「自分だけが富を得ようとする仕事の暴走である」と断じます。
そして「それは仕事の真の価値を見失っていたから」と続けます。
「仕事は人が生きる証しだ」と考える伊集院さんは、「真の仕事、生き方とは何か?」を問い始めます。
「その仕事は卑しくないか」
「その仕事は利己のみにならないか」
「その仕事はより多くの人をゆたかにできるか」
「その仕事はともに生きるためにあるか」
そう問いかけました。
新社会人に向けて問いかけながら、同時に私たち《旧》社会人に向けて、さらには伊集院静さん自らに問いかけているようにも思えます。
そして「一人でできることには限界がある」。しかしいつか「誇りと品格を得る時」が必ず来る。そう新社会人にエールを贈ります。
それから15年。2009年4月に新社会人になった若者たちは今、30代の終わりを生きています。
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2011年4月 1日(金)。その日の「新社会人おめでとう」の見出しは、伊集院静さんの自筆でこう記されていました。
「ハガネのように 花のように」。そのペンの文字は、しかし繊細で優しいものでした。
2011年の春は、私たち日本人にとって忘れがたい春でした。
あの東日本大震災を経た4月。
世界中から注目されているのは「日本人ひとりひとりの行動」であり、「日本人の真価」であるとも述べています。
そして、新しい社会人の使命について、こう語りかけました。
「今日から自分を鍛えることをせよ」
「ハガネのような強い精神と、咲く花のようにやさしいこころを持て」
そして
「苦しい時に流した汗は必ず生涯のタカラとなる」と語りかけました。
すべての社会人よ、あるいは、すべての日本人よ、と語りかけているように感じられます。
節電対策で電気がとめられ、石油ストーブで暖をとりながら過ごした思い出。その4月1日に、ここから、新しい春を歩いていこうと決意したことを思い出します。
それから13年。2011年4月に新社会人になった若者たちは今、30代半ばを生きています。
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2014年4月 1日(火)。その日の「新社会人おめでとう」の見出しは、『先駆者になれ』でした。
当時の私の心の中に浮かんだのは、自分の新社会人になった頃の思いでした。
野心がありました。
「先駆者」という言葉とは違いますが、「イノベーター」でありたいと思っていました。そんなことを思っている若僧が上司や先輩からあたたかく迎えられるはずはありません。出る杭は打たれます。何度、打たれたことか。
そして30代になってふと気がつくと、誰も自分を叩く人はいなくなりました。
翻って、自分の息子たちには「先駆者になれ」とは言えない父親としての自分がいます。
先駆者はある意味で傷つけられる存在です。
大人はそれを知っていて、上手に立ち回るものが出世するのでしょう。
しかし「上手くやれ」では、新聞広告にはなりません。「したたかに生きていってほしい」と願うばかりです。
それから10年。2014年4月に新社会人になった若者たちは今、30代前半を生きています。
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伊集院静さんの言葉をふりかえってみますと、その四半世紀、新社会人に向けて贈る言葉は、見事に一貫しているように思えます。それは伊集院さんの仕事に対する信念であり、時を経てそれは不変性を帯びる人生哲学となりました。
ウィスキーが長い歳月を経て熟成されていくように。
そんな大人の男にこの私はなれているでしょうか?自信はありませんが、それを自問します。
伊集院静さんの残した言葉の数々を、あえてお伝えしたくてここに引用させていただきました。
新聞広告は一夜にして過去のものになりますが、私は自分のブログにそれらを記してきて、この言葉の数々に再会することができました。
これらの言葉が時空を超えて、未来の新社会人へと届けられることを切に願います。
明日から新社会人のみなさんには、新しい一週間がはじまります。
どうか どうか
Good Luck!