『キャリア教育のウソ』(2013・ちくまプリマー新書)の第2章では、法政大学キャリアデザイン学部教授・児美川孝一郎(こみかわ・こういちろう)氏が本題である「ウソで固めたキャリア教育」論を展開します。新書のエッセンスはこの第2章にあります。上梓されてから十年経ち、その後キャリア教育は改善されてきたかもしれません。しかしここではまずその「ウソで固めたキャリア教育」論を整理してみましょう。
■1.「自己理解」系キャリア教育について
現状の問題点
・「やりたいこと」「夢」「なりたい職業」が重視され過ぎている。
・子供や若者には職業知識は乏しく、イメージや限られた接点で目標設定しがちである。
主張
・「職業や仕事についての理解を深める学習に力を入れる」べきである(p75:引用)。
・やりたいこと探しと職業理解を同時並行的に進めるべきである。
・「方向感覚」と「価値観」を探る。自分軸をつかもうとする教育を目指すべきである。
児美川教授は、「キャリアアンカー」(軸・価値観)や「キャリア・アダプタビリティ」(適応力・対処能力)を重視すべきとし、その上で現状は「夢追い」一択になっているが、「夢追い」と現実との折り合いをつけていくべきだとしています。
「やりたいこと」、「やれること」(能力・適性)、「やるべきこと」(役割を担う)のバランスをとりながら職業選択をしていくべきで、現実的な「やりたいこと」は、この3つのバランスをとりながら探っていくべきだとしています。
■2.「職業理解」系キャリア教育について
現状の問題点
・全国の公立中学校における職業体験の実施率は100%に近いが、それでいいのか?
主張
・一過性のイベントではないか?職業体験がキャリア教育であると誤解されていないか?
・「学校教育全体を通じたキャリア教育の中に有機的に位置づける必要がある」(p109:引用)
■3.「キャリアプラン」系キャリア教育について
現状の問題点
・キャリアプランの作成が、文科省の推奨する「将来設計能力」を育むことになるのか?
主張
・そもそも将来のキャリアを計画できるものなのか?
・プランニングのための基礎学習が充分にされていないまま実施されていないか?
・未来の変化は激しすぎる。
・クルンボルツ博士の「計画された偶然理論」のように偶然のチャンスを活かすことも学ぶべきではないか?
■4.「正社員モデル」の限界について
現状の問題点
・キャリア教育が『正社員への送り出しモデル』(p139・引用)に傾斜し過ぎている。
主張
・現在の若年労働市場の実情に即したキャリア教育を再構築すべきだ。
・非正規雇用の拡大に即したキャリア教育の処方箋が必要である。
・非正規雇用者への「防備」(リスキリング・情報)や「武器」(労働法)を提供すべきである。
一方で、正社員になれた者に対しても、転機や躓(つまず)きに備え、自分磨きとセーフティネットづくりを忘れないようにと言及。
この「ウソで固めたキャリア教育」論の後に、エピローグが用意されています。高校生や大学生に対して、ダイレクトな著者からのメッセージですので、これを要約します。
❶日本社会は「転換期」にある。
・戦後復興期を経て1960年代には高度経済成長期に至り、その頃から「戦後型社会システム」期が80年代末まで続き、1990年代以降はそうした「戦後型社会システム」期が崩れ始め、崩れるスピードは加速し、いまだ新たな「社会」が立ち上がってはいない。従って古い「標準」は成立しえなくなった。
❷だからこそ個人に自分の人生(ライフキャリア)を引き受ける責任と力が求められる。
❸危機の時代には新たな「希望」も「チャンス」もある。それは「可能性」でもある。
❹「職業能力開発」について生涯学び続けていく姿勢を身に着けるべきだ。
❺「学び方」を学ぶ。自分で学ぶ習慣を身につける。
❻「キャリアは自らが自律的に開発していく」(p178:引用)。その覚悟と実践。
❼「未来マップ」と「羅針盤」をつくろう。「羅針盤」は自分の生き方の「軸」である。(p182:引用)
(以上)
この「キャリア教育のウソ」を読んで、私は「教育」というものの限界を強く感じてしまいました。児美川教授の意図はそこにはなかったのかもしれませんが。
教育が時代の急激な変化に準拠できないのであれば、私たちは他の方法を模索するしかありません。
答えは風の中にあるのかもしれません。