村上春樹さんが多崎つくる君をカウンセリングするとしたら

村上春樹、河合隼雄に会いに行く」(新潮文庫)という対談集があります。その前書きで、臨床心理学者の故河合隼雄さんとの対話について、村上さんはこのようなことを述べています。

村上春樹さんは(河合隼雄さんと)いろんな話をしていると「頭の中のむずむずがほぐれていくような不思議な優しい感覚があった」(引用:P8)そうです。

カウンセリングという構えた係わり方ではない対話の中にも、おそらくカウンセリングに似た効能があるのでしょう。

村上春樹さんの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み返して、ちょっと面白いことに気がつきました。

主人公の多崎つくる君と、恋人・沙羅の会話(対面そして電話の双方)をカウンセリングにみたてると、ちょっと面白いことが分かってきたからです。

沙羅を造型したのは村上春樹さんです。もちろん多崎つくる君を造型したのも春樹さんです。しかしもしも多崎つくる君に対する沙羅の会話が少しカウンセリング的な色彩があるとすれば、多崎つくる君を、村上春樹さんが(沙羅の姿を借りて)カウンセリングしているようにも思えたのです。

ここでは「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」のカウンセリング的会話が、この物語を先へ先へと進めていることについて探ってみたいと思います。

つくる君と沙羅は、この小説の中で4回、対面での会話をしています。電話での会話は3回あります。

作品の構造としては、つくる君と沙羅の会話の3回目の後に、つくる君は名古屋に行って旧友アオとアカに再会します。その後に東京、広尾で4回目のつくる君と沙羅の会話があります。そしてつくる君がフィンランドへ向かう前に電話で会話をし、フィンランドで旧友クロと再会を果たします。帰国後、2回の電話での会話があって小説は終わることになります。終わった後に二人は会って話し合う予定ですが、読者の私たちはその会話を想像するしかありません。

対面と電話による会話と、彼の名古屋とフィンランドへの巡礼の旅の中での会話の構造をMindMapにまとめてみました。

つくる君と沙羅の対面セッションが❶から❹までです。

電話によるセッションが❺から❼まで。❸と❹の間、❺と❻の間に、つくる君と仲間たちとの再会が配置されています。

それでは❶から❹までを、さらっとみていきましょう。

❶の場所は、東京・恵比寿の外れの小さなバーです。四度目のデートで、なぜか沙羅は、つくる君の高校時代の話を聞きたがって、質問を投げかけます。

沙羅の会話の中には「」が実に31回、つくる君の会話の中には僅か3回だけです。

まさに沙羅の問いかけの集中砲火を浴びて、つくる君は彼の高校時代から大学2年生の「転機」に至るまでの経験を再現していきます。16年間誰にも話すことがなかった事柄を、沙羅にだけは打ち明け、それによってつくる君は初めて自分の経験を再現して言語化する機会を得たのです。

それはきっと危険なことよ」(p39:引用)と沙羅は言い、それにつくる君は「どんな風に?」(p20:引用)と初めての問いかけの「」を使います。ここで、つくる君の「経験の再現」の中から「意味の出現」へのブリッジが架けられたとみていいでしょう。

❷の場所は、東京・南青山のフランス料理店です。ここでの沙羅は、つくる君に対して受容と共感を示しながらも、はっきりと率直に感じたことを話し、ある提案をします。(作品が動き出す重要な提案です)。

❸の場所は、銀座の喫茶店です。前回南青山で会ってから五日後です。ここで沙羅は「白い大きめの封筒」(p136:引用)を渡します。そしてつくる君に促すのです。巡礼の旅に出ることを。

❹の場所は、広尾にあるビストロです。名古屋で旧友ふたりに会ったことをつくる君は報告します。そして沙羅はさらにフィンランドへ行ってクロに再会することを促すのです。

❶から❹までをみてきて、カウンセラーは沙羅。クライエントはつくる君。その構造がはっきりしました。カウンセラー沙羅はつくる君に行動化を促し、彼の中にある「転機」の経験の再現から意味の出現を促し、新たな意味の実現に至れるよう支援してきたのです。

多崎つくる君は木元沙羅によって、16年も続いていた「転機」の収束へ向けての巡礼の旅を進めることができたのです。

❺から❼までの電話セッションと、巡礼の旅(1と2:名古屋、3:フィンランド)については、これからお読みになる方に配慮し、ここでは控えさせていただきたいと思います。作品に流れている繊細な事柄にふれないわけにはいかないからです。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」をお読みになる機会があれば是非観察していただけたら、うれしいです。

最後に「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」(新潮文庫)の中にある村上春樹さんの言葉を紹介したいと思います。村上さんはこんなことを述べています。

ぼくは批評ができないのですよ、主人公にアイデンティファイしているから」(引用:P152:新潮文庫)。

結末を用意して書き始めるのではない村上春樹さんは、おそらく作品の中で生きているのでしょう。登場人物たちと共に。

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この記事を書いた人

大前 毅のアバター 大前 毅 国家資格キャリアコンサルタント
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