NHK MUSIC SPECIAL「 竹内まりや Music & Life~人生の扉~」が10月On Airされました。幸いそれを観ることのできた私は、デビューして45年、今年69歳を迎えた竹内まりやさんの音楽と人生の物語に深い感銘を覚えました。その感動がどこからきたのか?確かめたくて、この記事を書こうと思います。
竹内まりやさんの音楽と人生。それをふりかえり、まりやさんが影響を受けてきた人々を見詰めながら、70歳へと向かう竹内さんが抱く思いを探ってみたいと思います。
トポスという言葉があります。 ギリシア語topos は「場所・場」 という意味です。私はこのトポスという言葉が好きで《心の拠り所の地》といった意味合いで使っています。竹内まりやさんにとって、トポスは出雲大社でした。
番組は、竹内まりやさんがデビュー45周年を迎え、原点である出雲を訪問するところから始まります。幼少期の思い出の地、出雲大社を巡りながら、竹内まりやさんの音楽と人生の物語が語られます。
[幼少期~青春期]
竹内まりやさんの故郷。出雲大社。そこは竹内まりやさんにとって特別な場所。竹内さんは、その出雲大社近くの老舗旅館に生まれ育ちました。大好きな父親の繁蔵さんに可愛がられ、とても大きな影響を受けました。
高校時代、竹内さんは音楽が好きになり、特に「ビートルズ」に衝撃を受けました。そして海外への憧れを抱くようになります。ビートルズに会った時、話せるようにという理由から英語をしっかり学ぶようになった、まりやさん。そして高校時代の恩師・南場先生の勧めで、アメリカ留学を決意します。
17歳で渡米し一年間現地の高校に留学。そこでバンド活動に加わります。留学を通して、国籍や言葉が違っても、人間として感じるものは同じだという実体験を持てたことを振り返ります。
[歌手デビュー~結婚]
大学進学後、コーラスのアルバイトがきっかけで、23歳で歌手デビュー。松本隆、加藤和彦、山下達郎など一流クリエイターとの出会い。そして「不思議なピーチパイ」1980 デビュー 3 年目 、CM ソングとして発表したこの歌が大ヒットして、人気シンガーとしての地位を確立します。しかし超多忙な生活の中で音楽を楽しめなくなり、26歳で歌手活動を休止することに。音楽の先輩である山下達郎と結婚し、29歳で長女を出産しました。
[シンガーソングライターへ]
ソングライターとして、多くのアーティストに楽曲を提供。子育てをしながら音楽活動を続けます。そして30歳で歌手活動に復帰、アルバム「Variety」1984 をリリース。テレビ出演しなくても、アルバムはチャート1位を獲得したことは竹内まりやさんにあるインスピレーションをもたらしました。山下達郎をプロデューサーに迎え、現在に至る独自の音楽づくりのスタイルを確立する道が、ここに開けました。「プラスティック・ラヴ」1984 が後にシティポップブームの火付け役となるように、時代や国境を越えて愛される普遍的な音楽を生み出し続けます。40代になると、「駅」1987 「シングル・アゲイン」1989 「告白」1990 など、大人の恋や脆さをテーマにした楽曲を制作していきました。
[そして現在]
2000年代に入ると、日常の幸せや人生の深みをテーマにした楽曲が増えます。「いのちの歌」2008 では、かけがえのない命の尊さを歌い、「歌を贈ろう」2024 では、生田絵梨花との世代を超えたコラボレーションを行い、若い世代へ未来への希望を託します。
[名曲・人生の扉]
「人生の扉」2007 は、年齢を重ねることへの希望を歌った曲。
3年前に父親を家族で看取った経験から、穏やかな死を迎えたいと竹内まりやさんは、考えるようになりました。
97歳で亡くなった父を看取るときに、「安らかだったっていうのがすごくありがたかった」と竹内さん。
「穏やかな死を迎えられるような過ごし方をしたいな」と語ります。
そして、生前の父が一番好きだといった曲が「人生の扉」なのでした。「自分で書いていながら、これから老いていく自分にとって、またその励みになってくれる曲かもしれないなって」と語ります。年齢を重ねるという普遍的なテーマを歌った人生の扉・・・。生きることを肯定的に捉える歌のチカラ。
□
竹内まりやさんは、自分の音楽と人生の物語を辿りながら、折々で自分に大きな影響を与えてくれた人々について語ります。
《家族、特に父親・繁蔵さん》
繁蔵さんからは、「人生を楽しむこと」「前向きに生きること」「愛と感謝の大切さ」を学びました。「まりや」という素敵な名前を授けてくれたことに対する深い感謝の念。出雲大社を父とともに散策した幼いまりやさんが、父親の祈る姿をまぶたに焼きつけていることが伺えます。今、出雲大社で祈るまりやさんの姿から、出雲大社という場所が家族と結ばれている場であることを、私は感じました。
《ビートルズ》
ビートルズとの出会いが、海外への憧れを強め、英語を学ぶ原動力にもなり、そして音楽への道を志すきっかけをつくりました。
《恩師・南場先生》
高校時代に留学を勧められ、その後の人生にも大きな影響を与えてくれた恩師です。番組の中で南場先生と再会し、語り合うシーンが心に残ります。南場先生はまりやさんに伝えたい思いがありました。
「まりやはね今のままでいいよ まりやが変わったらおかしいよ 基本的に誰かのために喜んでもらうために生きているっていう姿勢があるから そいう立場になったというのが すばらしい そういう立場になれない 普通は 名をなさなくてもね 市井の一隅を照らす人間になってくれればいいけど まりやは名をなしたから お父さん お母さんがよかったんだ」
まりやさんは感涙し、先生もまた涙する再会場面でした。
《山下達郎》
音楽の先輩であり、夫でもあり、音楽プロデューサーとして、アーティストとして、竹内まりやさんの人生と音楽活動を支え続けています。
□
このような人々に影響を受けて、そして支えられて、音楽と共に生きてきた竹内まりやさん。それでは今の境地はどのようなものなのでしょうか?
番組の終盤で出雲の海を眺めながら、竹内さんは語ります。70代という新たな人生の扉を前にして、竹内まりやさんが、今思うことです。
「人との出会いが人生を作るんだなということはイコールご縁っていうものが、ご縁というものが一番大事だなっていうことを改めて、私が歌を歌うそういう仕事に出会ったご縁とか。自分のファミリーに生まれ合わせたご縁とか全てその縁(えにし)ですよね。 せめて80歳まで歌いたいかなと思ってましたし、今できればもっともっとより長く末永く歌ってもいいかなっていう風に今は思ってます。
確かに果たすべき責務というか使命があると思うので、音楽で皆さんを幸せにできることは探していきたいなと思う」
■
「天命」という言葉が思い浮かびます。
そして「ご縁」という言葉について、考えてみました。
私たちは日本人として「ご縁」という言葉のニュアンスを理解しています。同時に日本語の「ご縁」を英語で表現するのは難しいことも知っています。なぜなら、「ご縁」には日本語独特の文化的背景やニュアンスが含まれているからです。言葉の意味をより明確に規定するために、「ご縁」が持つ偶然性や運命的な出会いの意味合いを表現しうる英語表現を調べてみました。3つの言葉が考えられます。
Fateful encounter: 運命的な出会い。
Serendipity: 偶然の幸運、素敵な偶然。
Destiny: 運命。
「ご縁」は、Destiny: 運命でもあり、Serendipity: 素敵な偶然に満ちていて、Fateful encounter: 運命的な出会いである。そのように定義するならば、私たち一人一人の人生もまたきっと、たくさんの「ご縁」に彩られているはずです。
デニムの青が褪せてゆくほど味わいがでてくるーそんな人生を、私たちもまた送っていきたいものです。