作家の村上春樹さんが四十年くらい翻訳の仕事をしてきて、いつか自分で訳してみたいと大切にしまっていた作品の中で最後に残った作品が、このカーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』だったそうです。
そんなエピソードに惹かれて、新潮文庫で10月1日に発行されたのを機に購入しました。そして一ヶ月かけて10月31日に読み終えました。10月は私にとって、この八十年前に書かれた小説と共にあったような気がします。
原題:The Heart is a Lonely Hunter。文庫の装丁はモノクロームの少女の写真が印象的です。
時間をかけて毎日数ページ読みました。なかなか小説の世界に入っていけず、もどかしい数日間を過ごしました。いつしか八十年前の世界になじんできた自分に気がつきました。それでも一日に数ページしか読み進めることができませんでした。
昨日597ページの最後まで読み終えてみて、今日は1930年代末のアメリカ南部の町を旅してきたように感じています。それは楽しい旅ではありませんでしたが、経済不況と貧困と人種差別の中で最後まで出口のないなかを生きていた人々の息遣いが感じられる読書体験でした。
歴史の中で消えていった人々は、この小説の中で今も生きているように感じられました。叶えられなかった思いの数々・・・。
村上春樹さんは訳者のあとがきで、このような言葉を記しています。
『しかし朝は来ても、そこで明確な解決策が示されるわけではない。人々はそのような宙ぶらりんの状態に置かれたまま、新たな夜の到来を待つことになる』(引用:p601)
宙ぶらりんの状態に置かれたままのところにラインマーカーで印をつけてから、この小説を読み始めた私は、ネガティブ・ケイパビリティについて考え続けながら読書体験を続けてきたともいえるでしょう。
人は転機の中に在って、宙ぶらりんの状態に置かれる経験をすることがあります。それは決して楽しい時間ではありません。簡単な解決を得られるものでもありません。むしろ苦しい日々ともいえるでしょう。しかし、生きるということはそのような人生の時間をも内包しているということなのでしょう。
今を生きていて、いつも快適で思う通りになる世界の住人ではない時にこそ、このような文学が光を放つのかもしれません。
読み終わってから、朝日選書の『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生・著)を手に取ってその一文を確認しました。
「論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力」(p9:引用)
転機の中に在って、早急に結論のだせない時。
八十年前に生きていた人々の痛みもまた、一つとして解決されないまま夜明けが訪れるところで、このThe Heart is a Lonely Hunterは終わります。
村上春樹さんの愛読書にして、最後まで訳業にとりかかれなかったこの『心は孤独な狩人』。
本屋さんで、この訳者あとがきを手に取って読んでみるのもいいかもしれませんよ。