黒澤明が監督した映画「生きる」(1952)、聞いたことはありませんか?
主人公・渡邊勘治を演じた名優・志村喬が雪の降る公園内でブランコに乗って歌う「ゴンドラの唄」が強く印象に残っています。しかし黒澤映画といえば、同じく志村喬の主演した戦国群像劇「七人の侍」(1954)があまりにも有名で、しかも強烈すぎて、映画「生きる」はその陰にひっそりと咲く花のように感じられます。
今回リメイクされたイギリス映画「生きる LIVING」(2022)は、七十年前の黒澤明オリジナルを基にして、ノーベル賞作家カズオ・イシグロが脚本を担当し、第二次世界大戦後のロンドンを舞台につくられています。
主役を演じたイギリス人俳優ビル・ナイは、「ジェントルマン」という言葉が似合う主人公を演じています。カズオ・イシグロが俳優ビル・ナイを想定して脚本を執筆したと云う通り、ビル・ナイの映画「生きる」となっています。ビル・ナイは、この作品で第95回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされました。(カズオ・イシグロもまた同アカデミー賞脚色賞にノミネートされました。)
映画「生きる」は、七十年後のこの現代に誕生し、そして私の心をふるわす力を有する見事な映画でした。
この映画「生きる」は、初老の男が死期を悟ってから懸命に生きようとした物語です。
戦後の日本映画で脚本家として金字塔をうちたてた橋本忍氏(「羅生門」「七人の侍」「切腹」「砂の器」他傑作多数)。彼の自伝に「生きる」を巡る証言が残っています。彼が黒澤明との共同シナリオ制作現場の格闘を描いた『複眼の映像』(文芸春秋刊)のp81には、はじめて黒澤明がこの映画のテーマを藁半紙に3Bの鉛筆で書いて、それを橋本忍に渡すシーンが描かれてあります。
「後、七十五日しか生きられない男」。
ここから映画「生きる」という物語は出発したのでした。
橋本忍の自伝には、なまなましくこの映画「生きる」のドラマが創り出されていく過程が描かれています。黒澤明(監督)、小國英雄(脚本家)、橋本忍(脚本家)の三人が、この映画の「テーマ」と「ストーリー」と「人物設定」を練りあげていく過程です。制作現場そのものがドラマのようでした。最後に題名を「生きる」と黒澤明は書いて、橋本忍に「どう思う?」と尋ねるあたりは映画のワン・シーンのようです。
こうやって物語は仕上がりました。
それを黒澤明は映画としてつくりあげ、映画は、黒澤明の不朽の名作と呼ばれるまでになりました。
七十年の時を超えて、イギリスで「生きる LIVING」(2022)がリメイクされることになり、そして完成する背景には、面白いエピソードがあります。
ノーベル賞、ブッカー賞の受賞者カズオ・イシグロは、若き頃に黒澤明の「生きる」に大きな影響を受けてきたことを告白しています。
たくさんの奇跡のような出来事が連鎖して、この映画「生きる LIVING」(2022)は完成したのでした。
ここまで、この映画の内容にできるだけふれないで記事を書いてきました。
それは、この記事がきっかけでこの映画をひとりでも多くの人が観てくれたならと願うからです。
「生きることの意味」と題された一文が、映画の公式サイトに記されています。それを引用させていただきます。
今ならば、アマゾン・プライムVideoで観ることができます。黒澤明が伝えたかったことが、時空を超えて、観ることができます。
主演を演じたビル・ナイはこう語っています。
「彼が発見したのは、自分の人生に意味を与えるものは、誰かのために何かをすることでした」と。
誰かのために何かをすることがきっと「生きる」ことなのでしょう。
黒澤明は、生涯かけて映画という器に物語をつくり続けました。橋本忍は、生涯かけて脚本という文字の器に物語をつくり続けました。カズオ・イシグロは小説家でありながら脚本家として「生きる」を英語で刻みました。そして志村喬が、ビル・ナイが、役づくりの中でひとりの死にゆく男を演じました。
寓話のような物語です。
そこにあなたは何をみるでしょうか?